公営と民営の狭間で揺れる

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この島国が誇る美しい瀬戸内海、その右端を担う須磨海岸兵庫県神戸市須磨区)に位置する神戸市立須磨海浜水族園は、2023年5月31日に営業を終え、解体された。1957年の開業以降、100年以上の歴史を蓄積させてきた同所には以後、グランビスタホテル&リゾート管理の下「神戸須磨シーワールド」が建設され、今年6月、開業するそうだ。

直近で須磨海岸に足を運んだのは昨年の9月のこと、海で撮影をしたがっていた友人を連れて行った。彼は地方出身で一度もここに来たことがないらしく、5月まで水族園があったことを話すと驚いていた。現地に着くと、予定通りに企業グループは行政機関への申請を済ませたのだろう。園の周りには白の仮囲いが設置されていた。今すぐにでも解体が始まりそうで、もうどこにも外観を懐かしむ余地は残されていなかった。

この場所はたくさんの尊い記憶と結びついている。ひとつに、大学に入って間もなかった頃、はじめてできた恋人のことを思い出す。今でこそ笑い話として処理できるが、当時は女とコミュニケーションすらろくにとれない悲惨な状況だった。1日のデートでは、言葉を交わさない時間がほとんどを占めていたとも言える。そんなところにここの海の生き物たちは、それぞれに満ち満ちた生命力を以て水槽を泳ぎ回り、また、多様な表情を見せてくれる。すると、こちらもリアクションを取らざるを得ないので、私たちの沈黙の隙間にうまく入り込むような形になって、それが手助けになっていた。感謝している。

そういえば、ボロボロに老いた巨大な亀が一階の水槽にいたはずだ。仙境に住まうに相応しいあの亀は今、どこにいるのだろう。同じ場所に戻ってくるのだろうか。

また、街中で声をかけて繋がった女の子たちとも何度か訪れた。生物の展示施設なんぞまるで興味を示さない子を連れてきたこともあったし、海が怖いなんて言う子も連れてきたことがあるが、皆、楽しんでいた。共に過ごした時期は短かったけれど、どれも素敵な記憶としてある。それから、中学生の頃に両親が離婚して以来、もう会わなくなった父親のことも思い出す。2人で行った唯一の場所だ。父とは良くない別れ方だったので、どうしても文字に起こす気にはなれないが、不器用な人間の、言葉を選ばずに言ってしまえば精神的に欠陥だらけの人間が、子育てや家庭をとりもつためにかける苦労の量は今になってよく分かる。子供の頃は誰もが皆、自分の親のことを完璧な人間だと思うもの。

皮肉にもいつかの日、水族園前で肩車の状態で父親の肩の上で眠る少年を見かけた。少年の右手にはペンギンのぬいぐるみがあった。彼等の家庭のことは何一つ分からないが、少年が大人になってペンギンを見返したとき、父親との日々を微笑ましく思えるようにあってほしい。

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隣接する砂浜では、地元の高校生なのか、制服姿の男子生徒たちがはしゃいでいた。こんな地域で友人や恋人と学生生活を送ることができるその価値を想う。都市の情報量の多さに購買意欲を掻き立てられ、買いたいモノリストをバイトで稼いだ金で徐々に潰して満たされる、そんな都市生活を送る休日よりも、学校の帰り道、金じゃ買えないものを眺めるだけで満たされる平日に素晴らしさを感じる。

さて、砂上に腰掛け、この一帯の完成図に目をやる。リニューアルと謳っているが、昔の姿など微塵も感じられない、新設された立派なリゾート地帯だ。商業施設や華やかなホテルが建ち、芝生の広場ではヨガやプランクなどのフィットネスに勤しむ人々の姿が描かれていた。民営の施設は「儲け」を第一に考える。言い換えればそれは「客の動員数」だ。ソーシャルメディアに共有できる「映えた風景」は、手っ取り早い客の動員装置となるので、そこに注力して施設のデザインが成される。すると、どこも一様の風景に変貌する。同市のATOAや品川のマクセル、札幌のAOAOを見ればそれがよく分かるだろう。民営化しても、風景の強度を保っているのは郵便局くらいだ。いつまで経っても、無機質な形式ばった空間を維持している。

頭の中で消えがかる、懐かしかった「あの時」は再度、同じ場所を訪れることで再構築することができるが、ここではその試みは叶わなくなる。昔から続く姿形をとどめたまま、それを後世に残す取り組みが積極的に行われるのは、文化財的価値を持つ建設物だけらしい。水槽に添えられたひび割れたキャプションも、昭和平成の名残りある建築空間も、間近にある海から漂ってくる潮の香りも、多くにとっては何の価値もないらしい。ここだけに限らず、この先、経済的な利潤を生むためだけに整えられていくランドスケープを憂う。