エンドロールに名前が無かった

段ボールから荷物を取り出す。これも何度目だろう、慣れたものだ。友人や愛していた景色はとっくに捨てて今ここにいる。前の住人の趣味を疑うこの変な香料の匂いの部屋で暮らしをはじめることに多少の嫌気が差しながらも、今は部屋の整理をさっさと終えなければならない。だって明日から高校生だし。

ふと、16歳の時分を思い出す。度重なる転勤と離婚で各地を飛び回り、親しい間柄が一人としていない私のこれからの高校生活に懸ける気持ちは強かった。友人も、思い出もたくさんできた。プライドがぶつかって何度も喧嘩をしたり、終わりそうで終わらない授業に退屈さを感じて途中で抜け出したり、罪悪感を覚えながらも親にラインで一言告げて夜通しバカ騒ぎしたこと、どれも覚えている。

ただ、まったく女には満足できなかった。男集団でクラスが形成される私立進学校の特進コースで女の何たるかを知る者はあまりにも少ない。ほとんどは携帯の画面を見るよりも、参考書の紙面を眺めている時間の方が長い。飛んでくるメッセージのインボックスを開くことよりも、模試の結果が入った封を開けることのほうが彼らにとっては何よりの楽しみだった。ここでこのホモソーシャルの限界を知る。気付けば3年が過ぎた。焦りが募って進んだ大学の入学初年では女に積極的に関わっていくようにした。女から人気を集めているヤツとも仲良くするようにした。そうしてコミュニティでの立ち振る舞いに気を配りながら時間をかけ、ようやく秋口に彼女ができた。だが、女と深い関係に至るまでには、かなりの時間と労力をかけなければならないことを実感して落胆する。卒業まであと何年?女の1人2人を知った程度でこのまま老いていくのか?ここから、最短で多くの女とつながるにはどうすればいいかだけを考えるようになり、彼女と早々に距離を置いた。

女とつながること、何もそれはお互いの浅い経歴を話し合い、一応仲良くなったと感じたところで連絡先を交換することではない。そんなのは当たり前だ。異性として意識し合いながら本音で言葉を交わし、魅了する(告白させる、逆に応じさせる、セックスする)。これが女とつながるということだ。そして、これらを実現しているのは出会い系アプリやナンパであることは知っていた。だから早々にどちらかにとりかかればよかったのだが、両方ともやる気が起きなかった。というのも、インスタやラインで会えるかどうかもわからない女にメッセージを送って待つという時間が自分にとっては苦痛で、出会い系をはじめても似たような状態に陥ると思っていたから。ナンパに関しても、私は「愛のキャラバン」と銘打って性愛について発信していた頃の宮台真司さんや公家シンジさんからナンパを知ったわけだが、路上でいきなり女に声をかけてつきまとうシンジさんの動画を見て、自分にはこれはできないと悟った。

行き詰まりだ。女に声をかける勇気すらない自分に嫌気がさすが、なぜか自分にはナンパしかないと思っていたから、縋るようにしてほぼ毎日それに関連する情報を集めていた。もう1年も折り返しにさしかかり、呼吸の色はすっかり消えて、セーターに用がなくなった頃、

「すいません、すいません。あの、ナンパとかじゃないんやけど、タイプやなぁと思って」

少年のような出で立ちと声質、陽気な関西弁をもって違和感のない声かけで女の足を止め、会話に持ち込み連絡先を入手、後日デートで女を魅了する。そんな動画をyoutubeにたくさん上げている美青年の存在をある日知った。特に「違和感のない声かけ」というのは自分に刺さった。これならできるかもしれないと、翌日、早速近くのショッピングモールに向かい、彼を真似て夕方から好みの女にひたすら声をかけた。連絡先を交換することの難しさを痛感しながらも、知らない女に声をかけて会話を発生させられるようになった自分が嘘みたいで、可笑しくなる。初日は何も起こらなかったが、自分を少しばかり、愛せるようになった。2日目も下校してすぐに女に声をかけた。声は小さいし会話もろくに広げられないから連絡先は中々交換できなかったが、その日の最後、疲れて帰ろうとエレベーターを降りて地下に入ったとき、長谷川潤によく似た細身で高身長の女が目の前を横切った。長い髪をかきあげたアップバング、派手なピアスにネイル、白と黒でまとめられた無駄のないコーデ、これまで声をかけてきた女性とは比べ物にならないくらい魅力的に映ったが、怖くて声をかけられない。しかし、なんとしてでも彼女とつながろうと声をかけた。これがはじめてナンパで連絡先を交換した日だった。今でもたまに思い出す。和みも打診も適当だったが、余裕ある態度で彼女は私を迎え入れてくれた。帰宅して電話をしたいと申し出ると、すぐに電話をかけてきてくれて、自分のことをたくさん話してくれた。彼女は28歳でアパレルショップの店長をやっているらしい。自分もそれに応じるようにこれまでを話した。すぐにでも会いたかったから、翌日会う約束をとりつけた。仕事が終わる時間に彼女の店の近くで待ち合わせ、そこからビッグシティまで連れていった。会話には自信がなかったから公園でお酒を飲んですぐにホテル打診をすると、少しばかりの説教を受けたが、最後は仕方なさそうに了承してくれたことを覚えている。この日、ナンパで女と繋がるなんていうのはヤラセ、都市伝説の類だという思い込みが完全に砕けた。ちなみに、彼女は2回目も会ってくれたが、女性を軽んじて扱う態度を見透かされてまた説教を受け、後日連絡がつかなくなった。悲しかったが、説教されるほど女のことをわかっていない自分をそこで再認識できたし、また、ナンパではじめて夢を見させてくれた彼女には感謝しかない。

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次の日からまた街に出て、気付けば夏真っ只中、世間では人命に影響を及ぼすほどの危険なコロナ変異株が猛威をふるっていた。医療現場が逼迫して、患者を抱えきれない状況に陥った知らせを受けたときはさすがに恐怖を覚えた。来月には収まっていてほしいと、日々増え続ける感染者と死者の数をニュースで追いながら願う。スマートフォンは今日の教会に取って変わった。職場や学校には行けない。仕事や授業はオンラインチャットサービスを通じて行われる。旅行産業もそれに応じるようにして対応を大きく変えた。遠隔授業やリモートワークの出現を利用してホテル業界は格安の日帰りプランを設け、出張の企業人や観光客以外の新たな層を取り込もうとしていた。

自分はいち早くこの状況に目をつけた。出席と課題の提出さえしていれば単位はとれるので、ポケットWi-Fiと小型の端末をカバンに入れて講義に接続しながら街に出て声をかけ続けた。そして、格安の日帰りプランを利用して、ほぼ毎日シティホテルを予約する。1日に2~4人、部屋に女を呼び、ひたすらに数を増やしていく。複数人もいれば女から宿泊代も回収できるので、キャンペーンに大きく変更がない限りはこの仕組みを維持できる。コロナ禍はむしろチャンスだった。もちろん、数を追うことに必死で周りが見えなくなるので、ホテルの宿泊人数の規則を破って注意を受けても、それを意に介さずにいてトラブルになったこともあるし、スクリーニングを殆どかけずに女と会うが故に美人局に遭い、大揉めすることもあった。でも、それでよかった。今だけはどんな迷惑をかけても、誰と争っても構わない。自分が一番で自分が全て、報われない不遇のまま終わってたまるかと、そんな態度で毎日を過ごして夏を終える。また、この辺りから性愛や女に抱いていた幻想が消え失せた。顔が気に入られれば彼氏がいようとも簡単に口説きやセックスに応じる。恋人と別れたり、日常がうまくいかなかったりと、寂しさやストレスの度合いが高まっている時に告白すればすぐに恋仲は成立する。貞操観念や、度重なるデートの後に男女は手を取り合うなんていうのは幻想だ。

冬に入れば活動範囲を広げ、大都市で声をかけることもあった。そうしたところでは飲食店のキャッチ、ビジネスの勧誘、ナンパと、声をかけられること自体が当たり前で、声をかけても殆どの女から無視されたり、暴言を吐かれる。それは特急車両の止まらない中核都市でしかナンパをしたことがない自分にとっては新鮮なものだった。そして、今のやり方のままで会話を発生させることに限界を感じたと同時にシンジさんがあんな声のかけ方をしていたことに合点がいく。つきまとうようにして話しかけなければ会話が発生しないのだ。それでも慣れない都市で声をかけていると、見たことある姿が目に飛び込んでくる。あの美青年だ。話しかけると快く対応してくれて、今の活動のこと、最近になって長期のナンパ講習をはじめたこと、出会った女の子のことをたくさん話してくれた。自分は直接関係は無いものの、彼のおかげでここまで来れたことを話し、感謝を伝えた。声のかけ方は相変わらず同じだったが、それは彼だからこそ成立していたことに気付く。以降、ナンパそのものを一度考え直すようになり、そうこうしているうちに年を越した。新年を迎えてからは活動場所を大都市に限定し、女の子の状況や持ち物に合わせて声をかけるようになり、連絡先を聞くだけにとどまらず、当日ホテルまで連れ出すようにもなった。

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さて、現在、同じことの繰り返しで特に変わったことはない。最初がドラマチックに思えるだけで、後は退屈さが以前より少しばかり和らいだ毎日が続いていくのみ。ひとつ言うとすれば、仲間が増えた。皆、一言では言い尽くせない様々な事情を抱えながら街に立っている。結束は固くはないが、どこかで共鳴する部分は必ずあって、然る後に手を合わせ、然る後に手を切る。そんな関係。仲間の中からは消えていく者もたくさんいた。それは結婚したからとか、彼女ができたからとかではない。単純に結果が出ないことはもちろん、それ以外にも「ナンパをやる意味とは?」と、急に思索を始めて街から去っていくのだ。そうやって何かをやるのにあたってもっともらしい意味を逐一抽出しなければ納得できない人は好きじゃないが、よくあることらしい。

自分はここまでずっと街に立ち続けていた。その間に駅の工事は終わった。以前あった立ち飲み屋は潰れてカフェに成り代わった。紙マスクしか見なかった頃と比べて色付きで、顔の形に合わせたマスクをたくさん見るようになった。そういえばアベノマスクをつけている人は結局いなかった。マッチングアプリの待ち合わせをしている女を連れ出す度に今の時代に男女が路上で出会わないよなと、そう思った。

街にいる誰もがどこかに向かっている、あるいは誰かを待っている、そのように見えるかもしれないが私には何の予定もない。見知らぬ女が自分のもとへ舞い込んで来るのを待っている。

「今急いでるんで」

「友達待ってて」

「ありがとうございます、良い一日を~」

良い一日とはなんだろう、靴のかかとが擦り切れるほど歩き回り、風を浴びる中考えた。陽が沈みかけ、雲間に茜色が見える。人ははじめてのことに驚き、忘れていたことを思い返しては楽しくなったり、傷ついたり、傷つけたりを循環しながら、そっと死に近づいていく。私は今日も一人で生きている。一人とは言うものの、たくさんの人の顔が浮かぶ。それでもやはり一人だと思う。立ち止まると季節の匂いが漂ってくる。たしかなことなど分からないけれど、生きていることだけはたしかみたいだ。心のある場所はいつも小さく痛いが、そのこと自体が生きていることを表している。たった数年前の自分がずいぶんと過去に思えるように、この日のこともきっと懐かしく思う日が来るのかもしれない。

どうやら秋冬のせいでとてもセンチメンタルになっている。よろしくない。この季節に哲学的に内省したり思索し始めると、鬱になって飛ぶ。薪を焚べるように声をかけ続けろ。100人の女とつながったところで、何も自分に納得できなかったんだから。

【追記】
このテキストを書くきっかけになった100人目の女の子は、国内では実力派の踊り子だった。2023年現在、未だ連絡が続いている。彼女はその道で大成するつもりが、挫折に近い経験を味わい、東京からこっちに戻ってきたと言っていた。それはよくあることで、東京という街は殆どの人にとっては夢の墓場だ。何も成し得ないで終わっていく人の方が多いに決まっている。

彼女は俺に向かって「私と似ている」と言っていた。意味が分からなかったし、ホテルの中にいて、とにかく抱きたい気持ちしか無かったから深くは聞かなかったが、久しぶりに彼女のインスタグラムのポストに添えられた文章を見てなんとなくわかった。

"いつか何か起きるかもしれないから、やめることをやめた"

いつか何か起きるかもしれないから、そう思って街に出ているのは紛れもない今の私だ。