満開

3月の暮れ、久しぶりに誰にも会わない独りの休日。あたたかさを肌でしっかりと感じ取れる。早いものでもうそんな季節。少し前までECサイトで中綿入りのアウターを探していたというのに。
街にはいつも大江橋から徒歩で向かうことにしている。かならず立ち寄る場所があるから。

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露天神社、縁結びの由緒を持つ。その名を冠した商店街を知るだけで、社をじっくり味わったことはなかったので一通り見て回る。境内はたてつけられたスピーカーから荘厳な雅楽が鳴っていて、また、竹垣には各々が油性マジックで願いを込めたハート型の絵馬が大量に結び付けられている。ベンチに腰掛けると静かな時間が流れる素敵な空間。大都市にいながら喧騒を一時的に忘れられるのがこうした社寺だ。かつて10代の殆どを過ごした京都には社寺が各所に点在していて、それが一種の精神滋養になっていた。あの煮え切らない毎日を思い出して苦しくなったが、カフェインを摂取して気持ちを調整した後、街に入る。陽はわずかに沈みかけていた。

いつも通り、周辺視野をフル活用して出くわす女たちを横目で捉えていると、見慣れた顔が飛び込んできた。元恋人だ。去年の4月頃に出会って、思えばあと少しで1年になる。当時、ずいぶんと新しい女への執着が強かったために、恋人に相応しいといえる距離をとることができなかった。連日街に出て新しい女と出会い、疲れたら帰って寝て次の日を迎える。それを繰り返して気付けばひと月会わないことすらあった。そう遠くないうちに関係が切断されるとは思いつつも、せめて思い出くらいは作りたかったから間延びさせるようにして連絡を続けていたことを思い出す。

彼女はこちらを見てすぐに「お〜!」と、あの頃と何も変わらない陽気な様子で、金のインナーカラーを揺らしながら手を振ってくれた。そういえば彼女のインスタグラムには今も自分との思い出の投稿がいくつか残っている。まだ気があるのではないかとか、そういう話をしたいのではない。別れた後の恋人との思い出には少なからず冷たさ、もっといけば憎しみが宿るものだ。だから多くは思い出を記憶から飛ばすし、一切の関わりを断つ。でも彼女はおそらく「そんな素敵な日々もあったね」という具合で、そうやって過去の経験や出来事を前向きに捉えて生きているのかもしれない。だからこそ投稿は残していて、そして、今でもあのように振る舞えるのだと思う。

わずか21歳にしてそうした態度でいられるのかと思うと、自分との人間的な差をひどく感じて、無力ながら作り笑いで遠慮気味に手を振り返すくらいしかできなかった。そこから彼女はいつも使わないはずの路線の改札をくぐっていった。この先で何をするのか、何があるのか、誰が待っているのか、それを想像する余力はもうとっくに尽きていた。

しばらくしていつも街にいる面々と挨拶をしてから再度、声をかけはじめる。ノーマスクの顔が整った細身のベージュ女がこちらに向かって歩いてくるのが見えたので、すかさず足を止めようとするも止まらない。粘りに粘ったのち、駅の柱付近で話したい旨の打診が通り、ようやく和みに入ることができた。気が強く苦労したが、一通り話をつけて飲み屋街に向けて足を進める。話を聞いているとわかった。こいつは大学生だ。途端に気持ちがどんどん冷めていく。

最近になって思うことがある。俺は大学生の肩書きを持たない女と接することの方が多い。それは熱量を保ちつつも、落ち着いて接することができているからだと思う。だが、大学生を前にすると途端にできなくなる。どうしても内から嫉妬やそれに伴う嫌悪感が滲み出てくるからだ。

「同じ大学の先輩が~」「サークルのイケメンに~」「同じ学科のグループで~」

同じ体験線の上にあるが故に自分も有り得るもしくは有り得たかもしれないと、語られたエピソードを聞いて思う。そして、嫉妬と嫌悪で落ち着いていられなくなる。他方で、女子高生や社会人は同じ体験線にいない。自分が急に明日から高校生に戻れるわけでもないし、その人と同じ職業や立場になれるわけでもない。だから嫉妬や嫌悪に駆られることなく、落ち着いて、むしろ興味を持って接することができる。

と言いつつも、学生生活ももう終わりに近い。それがいつになるかは分からないけれど、歳をとれば全てに諦めがついて、大学生とも落ち着いて向き合える日が来るのだろう。

ただ、ここでひとつ、自分が抱えているコンプレックスというものは納得いくように解消するのではなく、どこかで諦めをつけ、時間を経過させて処理することもあるのだというのならば、こんなにも悲しいことはない。

店に入ると当たり前だが女は大学コミュニティの話をはじめる。関西では有名な私立大学に通っているらしい。気が強く周りが神輿を担いでくれる分、自分が一番であることが当然だと思う性分なのか、毒づいてばかりだ。まず、色恋や説教は通用しないとわかった。そして、ここで迎合するようにして話していると相手の空気に感染してこのまま終わるような気もした。何より自分が自分でなくなってしまうことが耐えられない。満足するまで女をしゃべらせた後、強烈な過去と出身地域の開示で場の空気を少しずつ変えていく。最初のような強い口調で話してこなくなったので、ある程度の要求が通るだろうと踏んでホテル打診に入る。もちろんグダは出るが弱かった。今持てる熱量で無理矢理納得させて店を出る。指一本触れなくても黙ってついてきたので仕上がっていた。
そこからはいつも通り、煙草の匂いが充満するクソ部屋で予定調和の再生産セックス。つまらない。事後もひたすら愚痴を聞かされて苛立ちが募るが、宿代をカードで払ってくれたので、一応その気は収まった。宿を出て帰路、見上げると綺麗な月、は見えない。こういう日の最後くらいは添えてくれてもいいだろう。私には閉まった飲み屋街の外に放り出されたゴミ袋の端から躍り出てくるネズミがお似合いなのだと気付く。

言ってしまえば今日なんていうのは嫌な刺激ばかりを受けて、目を背けたくなる一日だ。でもそんな日のことをなんとなく覚えておきたいと思った。だってこの先くだらない日々の方が圧倒的に増えるだろうから。いいこともわるいことも今のうちに、できるだけたくさん浴びる。

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窓は開けておくんだよ

いい声聞こえそうだから